以前新聞に紹介されていたのを見て、気になっていた小川公代さんの『ゆっくり歩く』を読みました。
帯には「新ケア論、母の遅さで。」とあり、
年老いて年々動きがゆっくりになっていく私の母の姿を重ねながら手に取りました。
改めて心に刻んだのは、ちゃんと聴くことの大切さ。
介護だけでなく、子育ても同じ。
そばにいる人の声をちゃんと聴く、これに尽きるということ。
慌ただしい毎日にそれを実践するのは簡単なことじゃないです、正直なところ。
自分に余裕がなかったらそんな事、できない。
先ずは自分をちゃんとケアして、心の余裕を持って毎日を暮らす、それがやっぱり大切だと痛感しています。
『ゆっくり歩く』小川公代著
外国語学部の先生が書かれたこの本は、
お母様のケアにまつわる様々な経験を核に、古今東西の文学のエッセンスを織り交ぜながら語られる、軽妙なエッセイで、
つい引き込まれて一緒に泣いたり笑ったりしながら楽しく読みました。
著者の現在と過去と関わった様々な人々のことが行きつ戻りつしながら綴られていて、
(同世代だからか?)全然違う人生を送ってきた私自身の記憶も湧き上がってきて、一緒に振り返る、
そんな読書体験でした。
多忙な毎日を過ごす中で、どうやってお母様のケアと向き合っておられるのか。
綴られているその悩みや葛藤は、
遠隔にいる年老いた親のことを考えて悶々とする私にとって、他人事ではありませんでした。

ちゃんと聴けているか?
新ケア論、母の遅さで。(医学書院の帯より)
ネガティヴ・ケイパビリティ(negative capability)
これは、この本のキーワードの一つで、私にとってはあまり馴染みのない言葉だったのですが、
簡単に白黒答えが出ない状況にじっと耐えてちゃんと考える姿勢のことを指す言葉らしいです。
思えば、人生のほとんどは白黒答えなんて出ないことの連続。
なのに、せっかちな私はYes・No、白・黒、選択することを良しとして長年生きてきたように思います。
無論、それも大切なことで、だからこそ、今まで真っ直ぐに道を歩んで来られた…でも、振り返ってみて、必ずしも全てが正しかったかと言うと、後悔もあるのです。
そして、子供達と年老いた親たちを身近に抱える今、私の周りには不確実要素が山積!
どれをとっても、こうすればいい!と決められない事ばかりです。

オープンダイアローグ(open dialogue)
オープンダイアローグで「言葉のケア」を受けることがいかに重要だったか、という記述は結構グサリと刺さりました。
ケアを要する人の言葉が、たとえ意図せずであっても、奪われることの問題。
良かれと思って周囲が行う(選択する)ことが、ケアされる本人の気持ちに寄り添っていないのは、悲劇です。
本人もどうしていいのかわからない、迷いの森にいる状態を、ケアする側も一緒に感じ、一緒に考えるという姿勢を実践するのが、オープンダイアローグなのだそうです。
オープンダイアローグは専門家が行う治療的介入を指す言葉ではありますが、つまりネガティヴ・ケイパビリティの実践としての対話、と私は理解しました。
今までの自分の言動を振り返ってみて、反省しきりです。
傾聴というのもそれに通じる考え方ですね。近いうちにちゃんと勉強しようと思います。
自分をケアするのを忘れずに
子どもの話をじっくり聴く、年老いた母の日々の悩みを逐一じっくり聴く…。
もちろん、それが大切なことは頭ではわかっています。私もずっとわかっていました。
でも毎日忙しくてそれどころではないのです!というのが、正直なところでしょう。
ここに来て、改めて思うのは、自分に余裕があると、それだけ話を聞くゆとりができる、ということ。
気持ちよく1日を過ごした後は、娘の悩みにじっくり耳を傾けられる。母の愚痴に相槌を打つことができる。
そのために今日片付けるつもりだった部屋の整理は後回しにしたとしても。

幸いにして、今の私には少し自分時間を確保できるようになりました。
家事の合間のちょっとした時間です。
子どもたちが学校に行っている間の昼過ぎとか、買い出しついでの散歩時間とか。
50数年生きてきて、案外色んな所で手を抜いても、ちゃんと暮らしは回ると思えるようになりました。
時間の捻出は家事のスリム化(要するに簡略化!)とセルフケアの精神で。
自分をケアできて初めて人をケアすることができると考えて!
これもネガティヴ・ケイパビリティを発揮する場面ですね。
忙しくて余裕がない、けれど人も自分もケアしたい。
立ち止まって考えて、今をどうしたいか、じっくり考える。
とても素敵な本に出会えました。
感謝です❤️


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