映画『大統領のケーキ』を観ました。
カンヌ国際映画祭でも話題になったイラクの映画です。

1990年代、フセインの独裁政権の元でアメリカをはじめとする国々と戦争状態だったイラクの話。
と言うよりその時代のイラクの子どもたちの話。
市井の人々が、どんな暮らしをしていて、そこで子どもたちはどんな風に過ごしていたのか、情緒豊かなドキュメンタリー風に描かれている作品です。
1990年代初め当時高校生だった私は、イラクがクウェートに侵攻した事をきっかけに、アメリカや国連が中心になってイラクを非難し、経済制裁や軍事作戦(つまりは戦争!)を行うという連日のニュースを、衝撃を持って見たことを覚えています。
隣の国に侵攻するなんて許されないし、独裁者だって良くない、国民を圧政で苦しめるなんてとんでもない、とか、あくまでもアメリカ側の立場で状況を見ていたし、
爆撃のニュース映像に怖さを覚えながらも、不謹慎にも映画の映像みたいだと思ってしまったり。
そこに暮らす人々にまで想像がなかなか広がりませんでした。

映画『大統領のケーキ』

『大統領のケーキ』が描き出すのは、経済制裁や戦争の中で、子どもたちが健気に生きる姿です。
主人公である9歳の少女ラミアは元気で明るく、前向き。
映画全体のトーンは決して悲壮ではなく、趣のあるノンフィクションのようで淡々と且つユーモアも。
メソポタミアの湿地帯の暮らしも、現代にこんな暮らしがまだあるのか!と文化人類学的にも興味深い作品です。
しかし描かれる子ども達の境遇はあまりにも過酷で、私は涙なしには直視することが出来ませんでした。
経済制裁で物資が無くなり、国全体の経済状況が悪くなって、一番困るのは、大統領サダムフセインではなくて、一般庶民です。
日々の暮らしは食べ物にも事欠く厳しさです。
街の人々も、それぞれ生きるのに必死な為か、子どもを助けるどころか欺こうとします。
子どもたちは街の大人達からも身を守らなければならないのです。
長く戦争が続いた国はどんな状況なのか、
正義の為と言って始められた経済制裁の元で、
人々がどんな暮らしを強いられているのか、ということを淡々とこの映画は伝えています。
『イラクの小さな橋を渡って』
もしも戦争になった時、どういう人々の上に爆弾が降るのか、そこが知りたかった
池澤夏樹『イラクの小さな橋を渡って』より
この本はこの言葉で始まります。
この本が書かれたのは2002年以降なので、先の映画の時代からさらに10年ほど経っているけれど、この二つの作品から伝わってくるものは同じです。
経済制裁や戦争の元で暮らす人々はどんな暮らしをしているのか。
本橋成一さんの写真は眼差しが優しくて、私も一緒に穏やかな旅をしているかのようです。
その後イラク戦争やフセインの処刑などを経て、今、この本に写っている人々はどうしているだろうかと考えると、胸がつまります。
戦争というのは結局、この子供たちの歌声を空襲警報のサイレンが押し殺すことだ。恥ずかしそうな笑みを恐怖の表情に変えることだ。
それを正当化する理屈をぼくは知らない。
池澤夏樹『イラクの小さな橋を渡って』より
この言葉でこの本は終わります。
制裁や戦争で一番苦しむのは誰かを想像してみる
ウクライナ、ガザ、イラン、ミャンマー、スーダン、アフガニスタン…他にもたくさんの地域で今も紛争が続いています。
先に紹介した映画も本もイラクについてだったけれど、どこの紛争でも同じことが起きているのです。
爆撃機が上空を飛んでいる下には、その土地で生まれ育ち、健気に生きようとしている子どもたちがいる。
ニュースでは、攻撃しなければならない「正当な」理由もたくさん流れてきます。どれもそれぞれの立場があって、紛争解決はとてもとても難しい。
でも、そこで暮らす子どもたちがどんな状況下にいるのか、想像してみたら、彼らを傷つける事は絶対にやってはいけないと思うでしょう?
〇〇だから戦わないといけない、〇〇だから制裁が必要だ、と勇ましい声を挙げる前に皆が立ち止まって考えることができたら、と思うのです。

私一人では戦争は止められないけれど
私が一人で戦争はダメだとか経済制裁はダメだとか言っても、何も変わらないでしょう。
だから何もしないのではなくて、せめて周りの人には伝えようと思います。
特に子どもたちにはしっかりと伝えようと思う。
私の両親が私にそう教えてくれたように。
高校生の娘はこの映画を見て、また少し視野が開けたようです。

ガザやイランの紛争について新聞やニュースで見聞きしていても、それだけではなかなか窺い知れないことを映画館の圧倒的な映像で胸に刻んだようです。
『イラクの小さな橋を渡って』を読んでさらに感じるものもあったみたい。
なお、この本には近代以降のイラクの年表が載っており、これも歴史を理解するのに大変に参考になりました。


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